次元と事件と資源と試験

感情的に語って生きたいですね。

【感想・レビュー等】機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)を観ました【ネタバレ有】

ガンダム作品の感想・レビューになりますが、非常に長い歴史を持ち、更にUC作品である中、私自身がガンダムのメディアをすべて把握しているわけでもないので間違い・変な解釈があると感じる方もいると思いますが、一個人の見解としてお願いします。

 

約27年ぶりになるUCを舞台にした劇場版作品であり、その頃はまだ生まれてもいない為、私としては初めてUC劇場版作品を映画館で見る体験ということもあり、非常に期待して公開を待っていました。公開日当日に2回見たので、感想・レビュー・考察等書いていこうと思います。

 

gundam-nt.net

 

総評としては、非常に面白く、1回見た後にもう一度見たい!となった作品でした。

ガンダムの根幹を成す設定「ニュータイプ」に対して、人類がどう捉えたか?捉えるか?そう捉えた結果何が起こったか/起こるか?というものを設定の文章だけでなく、映像作品といった形で表現した映画だと思っています。

 

過去作品の時期にこんなことがあったんだよ、のような内容もあり、今までのガンダム作品を見ていた人に対してのサービスシーン(えっちなのではなく…)もあり、グッと来ます。

 

キャラクターも非常に魅力的に仕上がっており、PV通りのハジケッぷりを見せていた(らしい)ゾルタンや、

この作品の軸となり話の進める役割を担いつつも、序盤は「人類が死を乗り越える」ことを目的とし冷徹なまでに作戦を進めるが、終盤には「リタに謝りたかった、分かり合いたかった」ことが本当の目的で、序盤とのギャップと相まって非常に人間らしい魅力的なキャラクターとなったミシェル。ミシェルが好き、一番好き。

 

MSに関しては、私は少し物足りないし、違和感がありました。

序盤のディジェは見ていて気持ちよく、また一瞬流れる今作画のZガンダムも嬉しかったのですが、ジオン系統のMSが極端に少ない気がしました。量産機体で言うとギラ・ズールぐらいしか出てこないのでジオン系統MSが動いていたところが見たかったです。ep4みたいに。

また、個別のMSに対し、説明不足というか納得感の無いチョイスだった気がしています。長くなるので後述。

 

ガンダム作品において設定の食い違いや後発の隙間問題はよく発生しており、ユニコーンにおいてもそれってどうなの?F91にはサイコフレーム無いよ?に対して一応の整合性を持った回答をする姿勢は持っており、投げっぱなしでは終わらせません、というような責任を持たされた作品にはなるのかな、と思います。

 

今まで映像作品では中途半端な解説にとどまっていたサイコフレームについての補完や、ガンダムサーガには必要不可欠な強化人間の掘り下げ等、「補完」がこの作品の立ち位置になってしまうのかな、と思います。

また、この作品は「新しいこと」を一切排除しています。既存の設定の補完や掘り下げはもちろん、地球に物体を落としたり、それをサイコフィールドで阻止したり等。

ユニコーンパイロットの融合だって既存の設定ですしね。

それをどう受け取れるか、がこの作品を評価したときに割れる原因の一つになるだろうと思います。

新しいことをやっていない、過去の遺産のつぎはぎ作品と取るか、過去の設定を補強し、ガンダムサーガに深みを増させた作品と取るか。私は後者です。

この作品を見るにあたってPVやインタビューなどの関連情報を殆どシャットアウトしていたのでわかりませんが、多分禿富野由悠季はこの作品嫌いって言ってそうですよね。

 

こうういうの書く時ってネガティブな部分ばっかり書いてしまってアレなんですけど、良かった部分って、「良かった…」で終わるのに対し、悪いところって具体的に出てくるじゃないですか。難しいですよね。

頭に書いた通り私はこの作品好きなので、できるだけ具体的に良い部分を書こうと頑張っています。難しいです。

 

以上で長くなりましたが総評になります。以下から具体的な人・こと・モノにフォーカスした感想や考察を書いていきます。しょーもないのでお目汚し注意。

 

ゾルタンの目的ってなんだっけ

一回目見たときの感想です。なんで地球にコロニーの破片ばら撒こうとしてんの?そんんな作戦じゃないよね?って思いました。

ただ二回目はそこにフォーカスして見ていった結果、「シャアの再来計画の失敗作」という設定に忠実な表現だったんだと解釈できました。

彼にはシャアの「哲学」が備わっていなかったのだと思っています。

 

シャアのやろうとしていたことは残虐ですが、哲学がありました。希望、可能性を根幹とした動機だったと考えています。

どんな戦争においてもただの歴史の繰り返しと考え、宇宙に出ればその繰り返しから脱却できるのではないか、という可能性がシャアの動機の根幹の一つだと考えています。

 

ただ自体はそのようにならず、ザビ家やティターンズのような一部の権力者の増長が繰り返され、宇宙に出ても同じ歴史の繰り返しと、シャアは悩み続けたんだと思います。

 

その繰り返しを断ち切る苦肉の策、自分を道化とまで嘲笑った手段が「アクシズ落とし」による粛清です。

 

それに対してゾルタンは「数年で人間が進化するなんて無理無理無理ィ~~~」みたいなノリで地球にコロニーの破片を落とそうとしており、シャアの行動や結果のみを断片的にトレースする「失敗作」だったんだと解釈しました。

なのでゾルタンって特に自身としての目的ってなかったんだと思います。「歪んだ物しか入れられなかった器」です。

さっきからゾルタンの名前を書くたびに「ヅラタン」と間違えそうになってる

 

・MS関係に対して

シナンジュ・スタインが2機居たことになることに何となく納得感が無いというか、違和感がありました。

設定上は2機あることは調べるとわかるのですが、それについての経緯というか目的がわからないんですよね、だれか教えてください。

単純に今後出すかも知らんから予備設計として2機にしといたろ!感があり、それにたいしての説明も本作では特にないのでイマイチでした。

 

同様にⅡネオ・ジオングも何やねんって感じでした。正直。

ユニコーンでは迎え撃つ形を取った為、アグレッシブな動きはあまりなかったのですが。今回はかなりアグレッシブに動くのでうおおとなったんですが、なんで存在しているの?に対し殆ど触れていないのが非常に残念でした。

フル・フロンタルの設計であり、彼以外には理解できない設計と明言されているのに何故造れたの?って思います。フロンタル存命時に予備機を作るほど新生ネオ・ジオンは国力に余裕はあったの?てか予備部品とか集めて作ったとしても壊れる想定だったの?って思います。

物語として絶対必要なものなんですが、それの背景がわからない。誰か教えて。

 

フェネクスに関してなんですが、彼女は火器類を装備しておらず(?)シールド・サイコフィールド・ビームトンファーしか使用しないので観ててのっぺりとしてしまったな…とは思います。

 

武器って構えるじゃないですか。ビームライフルを構えるだけで私達はワクワクするし、バックパックからビームサーベルを取り出し、ビーム刃を展開するだけでグッとくるじゃないですか。それって「意味」があるからクるんだと思うんですよ。

目的はMSを破壊すること、手段としてビームライフルを使うと判断、だからビームライフルを構えて照準を合わせ、打つ。

この手段のプロセスに私は魅入られているし、意識せずともそう受け止めている人もおおいと思います。

 

オールレンジ兵装の類は特性上その手段というプロセスが見えにくいものであり、それをメインにしてしまうと…とは考えています。パイロットが物理的に行うことって叫ぶだけですからね。今回は叫びもしませんし。

 

クシャトリヤのファンネルは、打つまでの動作が描写されていることが多く、そのような表現でカバーできるのに、今回はマジで盾が動いてるだけなんですよね…

サイコフィールドなんて腕を動かす→サイコフィールドが出る、に対して意味があるとは思えないですし(当人の気持ちの問題?)、もはや人類の理解の外にいるのでプロセスもへったくれも無いです。

 

・サイコフィールド使い過ぎ問題とその自己解釈と自己解決

サイコフィールド使い過ぎですよね今回。

今までってサイコフィールド自体を攻撃には転用してませんでしたけど、今回めっちゃ攻撃に使いますよね。

なんかちょっと興が削がれるというか、なんだかなぁと思っていました。

上述しましたが、動作としてプロセスが見えないからイマイチと言っていますが、それだけではなく、「サイコフィールドって出そうとして出すものじゃない、当人たちには奇跡の具現化」を思いっきりぶっ壊したからです。

カミーユだってアムロだって、手段としてそれを用いる算段はしていなくって、目的に対してバイオセンサーなりサイコフレームが結果に作用する。という構図だったはずです。

それに対して結構モヤモヤしてたんですが。半日ぐらいそれについて考えてたところ、一つの解釈が自分の中に湧いてきました。

 

バナージって最後に自分の意志でサイコフィールドを形成したじゃないですか。その後ユニコーンと一体化して彼方に飛んでいきそうな所をリディに止められる流れだったかと記憶してるんですけど、それが唯一引っかかっていて、「まぁ演出上そうなるよね、ガンダムの設定なんて五年経ったらノーカンみたいなとこあるし」って思ってたんですけど、よくよく考えると、「サイコフレームによって肉体と意識が分離し、生命ではなくなった状態」であれば、サイコフィールドを自在に操れるのかなと考え付きました。

 

また、自在に操ることはしなくとも、サイコフィールドを作用させた人は、精神の崩壊、消息不明であり、満足な状態を残して実存した人はいません。サイコフィールドの片鱗に触れた代償といいますか、高次元に触れられるNTがその扉を開きかけた結果だと解釈します。

 

アムロは解りませんが、カミーユはバイオセンサーによるサイコフィールド使用(ジオの動きを止める、ビームを弾く、ビームサーベル巨大化等、本来機体にない能力は、バイオセンサーによるサイコフィールドの形成が作用していると考えられる)により、肉体と意識が分離し、残った肉体は正常な意識が無く、精神が崩壊したように見えたのではないでしょうか。

 

それを肉体のまま使用できるのがネオジオングであり、サイコフィールドを意識の集合下でなく、個人の意思で使用できるからヤバイ、皆で止めようとフェネクスを動かしていた、となっていたのかなと。

 

カミーユに関しては、勿論世間としての解釈は違う(NT能力が高すぎて周りの思念に精神が追い付かなく、シロッコの強烈な思念がトリガーとなり精神疾患を負う)のですが…

後付けに対しても都合よく解釈しちゃうガンダム信者って本当にちょろいよね

 

ニュータイプは「宇宙に適応した新人類」ではない

ジオン・ズム・ダイクンが初めて予言した、宇宙に適応した新人類、ニュータイプ

今回、ニュータイプとして予知能力を顕現したリタは地球生まれであり、当時は恐らく宇宙に行ったことは無いでしょう。ニュータイプと宇宙は関係がありません。

そもそもアムロも地球生まれ(日本の山陰地方、カナダ、メキシコ、鳥取等、設定はめちゃくちゃですが…)であり、幼少期を過ごします。

宇宙に上がって後天的に得たという解釈もできますが、個人的には「元々高いNT適正があり、戦争による大きなストレスによりNT能力を顕現した」が正しいのかな、と思います。

 

今作でも触れられていますが、強化人間も非常に強いストレスを人為的に与えることで強化人間になれる(場合がある)という構図になりますし、木星圏の過酷な環境にいたシロッコもNTとして開花しています。

 

ただ宇宙へ出たことが直接の理由ではないにしろ、宇宙に出たことによる戦争や過酷な環境がNTを生んだのであれば、ジオン・ズム・ダイクンの予言は当たらずとも遠からずといったところでしょう。「人と誤解無く分かり合える力」であることは完全に的中しました。凄いぜ。

ストレスが必要ならNTに最も近いのは日本人…?

 

 

なんか最後らへんは大分ナラティブから逸れた内容になりましたが、今回この映画を見て思ったこと、考えたことがこの辺にあります。またしばらく自問自答した上で色々妄想して楽しみたいなと思います。

 

ナラティブガンダムについては特に語ることは無いです。正直あまりにも琴線に触れませんでした。なんかヘイズルシリーズと似通った設計思想だなぁぐらいしか…

これからPVだったりの関連情報に目を通そうかなって思っているので30分後ぐらいに変なこと書いた…ってのたうち回っているかもしれないですね。

 

5000字を超えるレビューとなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。色々つたない部分があると思いますが、「誤解無く分かり合えれば」 いいなと思っています。

 

ガンダム設定考証ガチ勢からの指摘がめっちゃ怖い